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【驚愕の韓国】本当の歴史を教えられない「迎恩門と独立門の真実」

韓国、ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の西大門独立公園内に
独立門(どくりつもん)はある。
この独立門、建てられた経緯が韓国国民に正しく伝えられていないのです。


観光公社のホームページでさえ、次のように公開しています。
1897年、独立門が建てられました。
高さ14.28m、幅11.48m。約1,850個の御影石で作られています。
フランスパリのエトワール凱旋門を模して作られました。
この門は、長い間影響を与えてきた中国や、韓国を脅かす日本やロシアに独立性を表わすためのもので、建設のための費用も国民の力によって集められました。

よって多くの韓国人は、独立門は、日本からの独立の記念に建てられた門だと信じ込んでいるのです。

独立門の真実の歴史

独立門がどうして建設されたか、経緯を勉強する必要があります。
独立門の少し前に立つ柱は、独立門が立つ前に迎恩門(げいおんもん、ヨンウンムン)という門が建てられていました。
今も、迎恩門の支柱だけが面影として残されています。

迎恩門とは

実はこの迎恩門は朝鮮の屈辱の歴史の象徴なのです。
朝鮮では紀元前3世紀頃、中国の漢(かん)時代初期に衛氏朝鮮が冊封(さくほう・植民地のこと)されて以来、1895年に日清戦争で日本が清を破り、下関条約によって朝鮮を独立国と認めさせるまで、ほぼ一貫して中国の冊封国(植民地)でありました。

実は、迎恩門は、李朝を通じて、明、あるいは清の皇帝の勅使(ちょくし)がソウルを訪れたときに、朝鮮国王がそこまで迎え出て、勅使に対して九回叩頭する礼を行なう場所だったのです。
朝鮮国王が、中国からの勅使(使者)を迎えるにあたり、朝鮮国王が土下座をして9回頭を地面に打ち付けて出迎える儀式の事です。

『 三跪九叩頭の礼 』(さんききゅうこうとうのれい)とは

三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)
中国清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つである。
三跪九叩頭の礼では、
1.「跪」の号令で跪き、
2.「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
3.「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
4.「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
5.「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。
琉球王朝や李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。
その郊外の地が琉球の場合、守礼門であり、李氏朝鮮の場合、迎恩門であります。

清国からの独立

日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせました。
これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになります。
その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊します。
そしてすぐ隣に独立の記念に建設された門が独立門なのです。
朝鮮は、自分達の力で独立を果たした訳ではなく、日本の成果によって独立を手に入れたのです。

韓国人の独立門認識

清からの独立を記念して建てられたものであるが、韓国では独立門建設の歴史背景が正しく教えられておりません。
そのために独立門はいまだに「日本からの独立」を記念する門であると誤解・勘違いしている人が多いのです。
韓国も国を挙げて、中国の冊封国だった歴史を国民に教育していません。
日本のおかげで清国から独立したことも子供たちに教育していないのです。
今日、独立門は韓国の史蹟32号に指定されています。
しかし、今日の韓国民のうち、いったい何人が、そこに韓民族にとって、はかりしれない災禍をもたらした象徴である迎恩門が建っていたことを、知っているのでしょうか。
正しい歴史も教えてもらえない韓国国民。
教えない方が悪いのか、知ろうとしない国民が悪いのか。
正しい歴史を伝えない韓国の教育の恐ろしさを感じます。

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