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【ライダイハン】韓国社会に衝撃 ベトナム戦争の英雄が徐々に汚点化

慰安婦問題では国民総出で日本への批判を続ける韓国。「ライダイハン」の存在によって明らかになった、自国兵士による性的暴行の事実は韓国社会に衝撃を与えています。


「女性の人権擁護」を掲げ非難する声がある一方、日本に対し責任追及をしてきた自分たちの首も絞める“ブーメラン”になりかねず、同問題では難しい判断を迫られている。

韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のことです。
1973年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣しています。
ベトナムへ派兵を実施した朴正煕(パク・チョンヒ)政権以後、韓国政府は元派遣兵士を「国家の有功者」とみなしてきました。
朴正煕政権は、派兵と引き換えるように「経済援助」というカードを日米両国から引き出していくのです。
ベトナム戦争で、経済特需を勝ち得て経済を発展させようと考えたのです。
韓国から南ベトナムに向かったのは、兵士だけではありませんでした。
「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として、国内よりも高い賃金目当てに韓国人労働者も現地へ向かいました。
商社、建設、サービス業を主力として、技術者や労務者らも1965年から相次いで海を渡ります。
また、韓進(ハンジン)、現代(ヒュンダイ)、大宇(デーウ)、三星(サムスン)などの韓国「大財閥」もいわゆる「ベトナム戦争特需」により、基礎が形成されることになるのです。
そして韓国が経済成長する「漢江(ハンガン)の奇跡」の基礎となっていきます。

韓国軍は、ベトナムで何をしたのか

実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国人が知ったのは1999年で、戦争終結からかなりの年月を要していた。

発端は週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が始めた1年以上にわたる連載記事だった。
記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。
とくに殺害方法に触れた箇所は凄惨を極める。
〈生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。

●子供たちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
 ●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉

まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だったのです。
しかし、暴かれた真実によって、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、
政権は怒り、元軍人たちも大反発しました。
同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こりました。
今まで英雄扱いされてきた軍人達の蛮行が明るみに出て、韓国人の汚点になろうとしています。

韓国に押しよせる【ライダイハン問題】

ライダイハンとはベトナム語で「ライ」は混血です。
「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称であります。
韓国兵は13、14歳の少女を含むベトナム女性数千人に対し性的暴行を行いました。
その結果、生まれたライダイハンは5千~3万人いるとされるが正確な人数は明らかでない。
ライダイハンの父親は、韓国兵のほか韓国の建設会社などから派遣された民間人や軍属の韓国人男性たちからです。
1973年に結ばれたパリ和平協定による韓国軍撤退などで韓国人男性らは帰国し、ライダイハンは置き去りにされました。
75年にベトナム戦争が終結した後、南ベトナム政府の崩壊により、共産党政権下でライダイハンは「敵国の子」として迫害され、差別されてきたそうです。

ねつ造された日本の「慰安婦問題」と違い、現実に実在する「ライダンハン問題」。
被害を受けた女性達や家族、生まれてきた子供達の韓国人に対する恨みは相当に根深いものになっています。

今まであまり世界中で知られてこなかった【ライダイハン問題】。
【ライダイハン】で検索すると、とても掲載できないような、残虐で恐ろしい映像が沢山出てきます。
少し掘り下げて取り上げていきます。
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